2015年10月04日
会津若松城を佐賀藩は空砲で攻撃?


平成27年10月1日付日経新聞3面の左下に、
元福島県会津若松市長の早川広中氏の講演会の記事が載っていました。
幕末に佐賀藩の10代藩主鍋島直正(閑叟)公は、
教育熱心で海外の技術習得にも熱心で近代重工業の先駆けとなりました。
そして世界遺産に指定された佐賀市の三重津海軍所で、
日本初の実用蒸気船「凌風丸(りょうふうまる)」を完成させています。
戊辰戦争ではアームストロング砲を持ち込んで上野彰義隊の鎮圧、
更に会津若松城の攻撃にも参加しています。
早川広中氏の講演会の趣旨は、
「佐賀藩が会津若松城を攻撃するときに『空砲』を多く含んでいたため、
会津若松市街が延焼を免れた。
佐賀藩の武士道に感謝している」とのことでした。
確かに陥落後の会津若松城の写真が残っていますが、
弾痕は多いのですが火災の痕跡は少ないですね。
私の出身地佐賀県多久市の領主は、鍋島家の家老職「多久家」なのですが、
多久からも戊辰戦争に参加した人たちが沢山います。
NHK大河ドラマは長州・薩摩・土佐が取り上げられていますが、
是非鍋島直正(閑叟)公や、江藤新平、大隈重信も取り上げて欲しいですね。
●陥落後の会津若松城の写真は「ウイキぺディア」より転載。原本の出所は不明