2011年08月30日
貴重な西瓜
今年はスイカが不作で、高価でした。
お盆に弟が育てたバレーボール大の西瓜を、
分けてもらっていたのですが、
食べる機会がずれて、ようやく食べました。
包丁を入れてびっくり、
黄色の西瓜でした。
しかも、甘かった・・・。
一晩で完食しました。
2011年08月30日
木こりDEランチ
木こりさんが「サイコロステーキフェア」を開催中なので、
「是非食べたい」と思っていたのですが、
なかなか機会がなくて、
ようやく今日、おいしくいただきました。
サイコロステーキはソースが選べるし、
とてもおいしい。
もうひとつ見逃せないのが、
「野菜サラダ」だと思います。
野菜がしゃきしゃきして新鮮!!
TOPの写真は食事中だったブロガー仲間の「*しぃ*」さんに、
ばっちり撮影していただきました。感謝。
今日はお客様が次から次においでになり、
1階は満席状態でした。
商売繁盛で何よりでした。
2011年08月30日
野田首相と松下幸之助・原口一博議員・横尾多久市長
平成23年8月30日 日経新聞より
本日、野田佳彦氏が日本の首相に任命されました。
民主党の代表者選出選挙のごたごたは別として、
私は個人的に一安心しました。
親の七光りで苦労せずに国会議員になった「金魚」さんが悪いとは申しませんが、両親が農家出身で本人が苦労して政治家になった方を応援します。
特に、野田佳彦首相は松下政経塾の1期生と聞いて、
松下幸之助氏を尊敬する私は素直に嬉しいと思いました。
きっと天国で、
「やっと塾生が首相に選ばれたか」と喜んでおられると思います。
松下幸之助氏の考え方は数多く出版されていますが、
松下政経塾の多数の入塾希望者から、
最終選考で選ぶ基準が興味深いと思いました。
入塾希望者はいずれも学力レベルが高い人ばかり、
その中から選ぶ基準は・・・、
「運がいい人」「笑顔が良い人」だったと思います。
短い面接時間でそんなことがわかるのか?と思いますが、
松下幸之助氏にはわかっていたようです。
佐賀県出身で松下政経塾出身者は、民主党「原口一博」議員と、
横尾俊彦多久市長。
横尾市長は野田佳彦首相と松下政経塾で寮が同室だったと、
今朝の日経新聞に談話が載っていました。
原口一博議員と、横尾俊彦多久市長にも、
もっと頑張っていただきましょう。
それにしても、「相田みつお」さんの本「おかげさん」に収録 されている、
「どじょうがさ 金魚のまねすることねんだよなあ」を引用したのは、
素晴らしかった。
親の七光りで政治家になった「金魚」の皆さんには、
「グサッ!!」と来たでしょうが、
「ドジョウ」に頑張っていただいて、
日本を良くしていただきましょう。
2011年08月28日
演歌歌手のマーケティング
先日のブログで、「島田紳助はマーケティングの達人だ」と書きました。
その中で、島田伸助は先輩の芸能人で司会者の皆さんのUSPを調べ、
島田紳助独自のUSPを見つけた。
「商売にはUSPが大事だ」と書きました。
USP(Unique Selling Proposition=とは、
自社(製品)が持つ独特の強み、ウリ、特長のこと。
ユニークで顧客に対して売り込みが効く主張、提案がUSPであり、
他社との際立つ差別化が強みです。
商売においては、マーケティング、ブランド構築の上で際立つ
USPを持つことが大事。
今回は、私の好きな演歌歌手について考えてみました。
今は亡き美空ひばりさんは、押しも押されぬ女王でした。
演歌のみならず、芸能界の女王だったと言った方が良いでしょう。
美空ひばりさん亡きあとは、北島三郎さんが大御所でしょう。
北島三郎さんはある時、「プロは3日歌わなければプロとは言えない」と
言われていました。
プロ歌手の新人歌手は、出番前にしきりに発生練習をしていました。
王貞治氏は現役時代素振りを怠らなかったし、
イチロー選手も練習を休止する期間が短い。
プロはお客様の目が届かないところで努力をしています。
私はカラオケ大会においでいただいた、
プロのゲスト歌手を舞台裏で沢山見てきました。
まだ駆け出しの新人歌手から、NHK紅白歌合戦に出場した歌手まで、
それこそ沢山のプロ歌手の皆様を見てきました。
NHK紅白歌合戦に出場経験のある歌手を筆頭に、
総勢5~8名のゲスト歌手が出場された場合は、
プロ歌手の先輩後輩のしきたりを垣間見ることができました。
新人歌手から歌い始めるのですが、
自分の出番が終わっても舞台袖で先輩歌手が歌い終わるまで
「ジーッ」と息を殺して舞台を凝視しておられました。
傍から見ていて、「やっぱり芸能界は礼儀・しきたりが厳しい」と思いました。
ところで、北島三郎さんが美川憲一さんの歌を歌ったらどうなるでしょうか? 吉幾三さんの歌を五木ひろしさんが歌ったらどうなるでしょうか。
和田あき子さんの歌を由紀さおりさんが歌ったらどうなるか、川中美幸さんの歌を秋元順子さんが歌ったらどうなるでしょうか・・・。
皆さんプロ歌手ですから、それなりに歌いこなされるでしょう。
でも、何か原曲を歌われた本人の歌と比べると何か物足りない。
料理でいえば、塩加減が微妙・・・。
この違いがUSP=差別化、個性だと思います。
自分の会社・お店・商品が、競合他社といかに際立つか・・・。
商売は「商い=飽きない」と言われます。奥が深く永遠です。
その中で、島田伸助は先輩の芸能人で司会者の皆さんのUSPを調べ、
島田紳助独自のUSPを見つけた。
「商売にはUSPが大事だ」と書きました。
USP(Unique Selling Proposition=とは、
自社(製品)が持つ独特の強み、ウリ、特長のこと。
ユニークで顧客に対して売り込みが効く主張、提案がUSPであり、
他社との際立つ差別化が強みです。
商売においては、マーケティング、ブランド構築の上で際立つ
USPを持つことが大事。
今回は、私の好きな演歌歌手について考えてみました。
今は亡き美空ひばりさんは、押しも押されぬ女王でした。
演歌のみならず、芸能界の女王だったと言った方が良いでしょう。
美空ひばりさん亡きあとは、北島三郎さんが大御所でしょう。
北島三郎さんはある時、「プロは3日歌わなければプロとは言えない」と
言われていました。
プロ歌手の新人歌手は、出番前にしきりに発生練習をしていました。
王貞治氏は現役時代素振りを怠らなかったし、
イチロー選手も練習を休止する期間が短い。
プロはお客様の目が届かないところで努力をしています。
私はカラオケ大会においでいただいた、
プロのゲスト歌手を舞台裏で沢山見てきました。
まだ駆け出しの新人歌手から、NHK紅白歌合戦に出場した歌手まで、
それこそ沢山のプロ歌手の皆様を見てきました。
NHK紅白歌合戦に出場経験のある歌手を筆頭に、
総勢5~8名のゲスト歌手が出場された場合は、
プロ歌手の先輩後輩のしきたりを垣間見ることができました。
新人歌手から歌い始めるのですが、
自分の出番が終わっても舞台袖で先輩歌手が歌い終わるまで
「ジーッ」と息を殺して舞台を凝視しておられました。
傍から見ていて、「やっぱり芸能界は礼儀・しきたりが厳しい」と思いました。
ところで、北島三郎さんが美川憲一さんの歌を歌ったらどうなるでしょうか? 吉幾三さんの歌を五木ひろしさんが歌ったらどうなるでしょうか。
和田あき子さんの歌を由紀さおりさんが歌ったらどうなるか、川中美幸さんの歌を秋元順子さんが歌ったらどうなるでしょうか・・・。
皆さんプロ歌手ですから、それなりに歌いこなされるでしょう。
でも、何か原曲を歌われた本人の歌と比べると何か物足りない。
料理でいえば、塩加減が微妙・・・。
この違いがUSP=差別化、個性だと思います。
自分の会社・お店・商品が、競合他社といかに際立つか・・・。
商売は「商い=飽きない」と言われます。奥が深く永遠です。
2011年08月28日
緑のカーテン
緑のカーテン「ゴーヤ」がしっかり育って、
緑のカーテンの面目躍如!!
肥料は勿論、お米のとぎ汁も与え、
水を切らさないように注意しています。
妻や娘は「ゴーヤ作りが上手な?」
父ちゃんの能力に感心しています。
妻曰く・・・「来年は東側も植えてね!!」
緑のカーテンがあると、
室内温度が下がりますが、
何よりも緑のカーテンで目が安らぎます。
植えて良かったゴーヤくん。感謝
2011年08月27日
小林旭さんと若尾文子さん・・・あこがれの人

(若尾文子さんの写真は「いくらおにぎりブログ」よりお借りしました。
現在ソフトバンクモバイルのホワイト犬のテレビCMに、
小林旭さんと若尾文子さんが登場しています。
二人の大ファンの私には、めちゃくちゃ嬉しいことです。
若尾文子さんは現在、NHKの朝ドラにナレーションも
担当しながら登場しておられますので、
子供のころから大ファンだった私にはとても嬉しいことです。
子供のころ、年上の従兄弟が買っていた雑誌に
若尾文子さんの写真が載っているのを見つけ、
「ウワー、綺麗なお姉さんだ」と、
ドキドキして見ていました。
妻と結婚してから、
ひょんなことから「若尾文子さんが大好き」なのがばれて、
睨まれたことがあります。
その後、若尾文子さんがテレビに出ると
「お父さん!!若尾文子さんがテレビに出ているよ~」と
呼んでくれるようになりました。感謝

(写真は、テイチク「遠き昭和の・・・」ジャケットです)
小林旭さんは年の離れた兄貴のようなあこがれの人ですが、
小林旭さん出演の映画は殆ど見ていません。
歌手「小林旭」が大好きで、
私の大事なカラオケレパートリです。
カラオケ仲間や同級生達から、
「小林旭の歌を歌って・・・」とリクエストされることもあります。
同級生には、昨年発売された「遠き昭和の・・・」を聞いてもらいます。
「遠き昭和の・・・」は名曲だと思います。
2011年08月27日
魚、さかな、サカナ・・・
黒猫クロちゃんは、お魚大好き・・・。
焼き魚のときは、匂いを嗅ぎつけて椅子の上で待機します。
でも、腎臓が悪いので塩魚は食べさせません。
そこで猫用の腎臓病専用食に、時折鰹節をまぶしてあげます。
2011年08月27日
魚、さかな、サカナ・・・
黒猫クロちゃんは、お魚大好き・・・。
焼き魚のときは、匂いを嗅ぎつけて椅子の上で待機します。
でも、腎臓が悪いので塩魚は食べさせません。
そこで猫用の腎臓病専用食に、時折鰹節をまぶしてあげます。
2011年08月25日
島田紳助に学ぶこと

写真は「日刊サイゾー」よりお借りしました。
島田紳助さんは、今回の黒い噂で芸能界を引退しました。
8月24日の朝、フジテレビ系の番組「とくダネ!」の中で、
コメンテーターの高木美穂さんが興味深い発言をしていました。
高木美穂さんが女優業として芸能界で生き残れるかどうか迷っていた時、
島田伸助さんは「それなら、コメンテーターを始めたらいい。
ただし、東京のテレビ局は止めた方がいい。
失敗したら2度と立ち上がれないかもしれない。
関西のテレビ局なら失敗しても大した影響はない」と言って、
実際に関西のテレビ局を紹介してくれたそうです。
高木美穂さんは「島田伸助さんは、私の恩人です」と言いながら、
涙を流していました。
他にも、島田伸助さんは芸能界では落ちこぼれ組を、多数復活させています。彼は、芸能人の潜在能力を引き出す天才ではないかと思っています。
何故、島田伸助さんは潜在能力を引き出す天才なのでしょうか・・・。
彼自身の自伝の中にヒントがあります。
島田伸助さんは、漫才コンビでは生き残れないと判断し、
徹底的に「マーケット・リサーチ」を実施しています。
漫才の芸人さんがマーケティングを勉強していたとはびっくりしますが、
島田伸助さんは間違いなく大変な勉強家です。
漫才界や落語家の分析だけでなく、司会者の分析を行い、
笑福亭仁鶴、桂三枝、西川きよし、明石家さんま、タモリといった
先輩の良いところを真似ても負ける。
自分は「毒舌司会者としてなら勝てる」との結論を出し、
実行に移しています。
この絞り込みがマーケティングの凄さです。
毒舌ですが、島田伸助さんは「好きな人の悪口しか言わない」と徹底しているため、相手側は毒舌を言われても怒らないところが凄いですね。
高木美穂さんの場合も、関西のテレビ局でコメンテーターとして
実験をしようとアドバイスしています。
万が一、失敗しても小さな失敗だから、
もう一度別のことでチャレンジすればいい。
そんなアドバイスです。
HONDAの本田総一郎氏は、
失敗することを恐れる技術者を叱ったそうです。
松下幸之助氏も、「失敗することを 恐れるよりも、
真剣でないことを 恐れた ほうがいい」と言っています。
現在経済界で成功している方々は、
間違いなく小さな失敗をたくさんやって、
大きな成功を導いています。
芸能界も、経営も同じだと言えます。
島田伸助さんは、芸能界だけでなく、
飲食業など様々なお店を経営していますが、
経営者として見習うべきことがたくさんあります。
資本主義社会では、
お客様に買っていただくことで商売が成り立ちます。
他社よりもお客様に喜んでいただける商品やサービスを、
どのように提供するかで業績は変わります。
つまり、
他社との違い(USP:Unique Selling Proposition=うり、強み)を、
いかに際立たせるかが商売の基本になります。
島田伸助さんは、間違いなく商売人。
お客様の心を掴むことを必死に考えている人です。
皆さん、島田伸助さんの良いところは徹底的に真似しましょう。
2011年08月25日
ジェラートを食べました
今日は福岡市のお客様訪問。
帰宅時に基山パーキングエリアで休憩したのですが、
数人の方がソフトクリームを食べているのを見て、
私は・・・、メロン・ジェラートをいただきました。
390円でした。
私の赤プリ(プリウス)の横に、
鹿児島ナンバーの黒プリが駐車していたのですが、
遠くから見ても私の赤プリが目立つ・・・。
黒プリに乗車しようとしていた若い女性二人が、
赤プリのドライバーが「おっさん」だと気づいて、
「エッ?」とした顔をしていました。
そして、「赤がいいな~」て顔をしました。
(ざま~みやがれッてんだ!!)
佐賀トヨペットの営業マンと、
偶然昼ご飯を一緒に食べたのですが、
現在プリウスの納車は約1カ月待ちだそうです。
ワゴンタイプの新型プリウスαは、納車1年待ち!!
プリウスは白・黒・グレーなど、
モノトーン系が相変わらず売れているですが、
うす紫、紺を抑えて有色車のなかでは「赤」が1位だそうです。
「内野さんは先見の明がありました」と変なところで褒められました。
最近は赤プリが増えているのは実感していたのですが、
私の赤プリの納車が早かったので、
なんだかんだ言いながら、
私が赤プリのコマーシャルをしていたようなものです。
2011年08月25日
2011年08月24日
落雷被害なし?

イラストは素材のプチッチさんよりお借りしました。
昨夜の木こりさんでのパソコン勉強会の最中、雷光がしばしば見えました。
しかも、雷鳴も聞こえるし、私は心中おだやかではありませんでした。
なぜなら仕事柄、通信機器やOA機器が落雷で電気破壊されると、
復旧作業に追われるからです。
先日21日の日曜日も、落雷処理で休日が吹き飛んでしまいました。
今朝から、そわそわドキドキしていたのですが、
どうやら、わが社のお客様に被害は出ていないようで、
サービスコールの電話が無く、
ほっと一安心です。
今日は珍しく外出しません。
明日は福岡市のお客様を訪問する予定なので、
今日中に急ぎの提案書と見積書を準備しなくてはいけません。
今日は、電話が鳴らないように祈っています。
2011年08月23日
木こりさん勉強会終了
大雨と雷鳴の中、木こりさんでの定例勉強会が開催されました。
さすがに参加者は若干少なめでしたが、有田町からの参加者もあって、
パソコン関係の情報交換が熱心に行われました。
その中で話題に出たのがTwitterの凋落と、Facebookの躍進。
今夜の参加者の利用状況を聞いても、
Twitterは殆ど利用しなくなったか、
利用してもちょこっとだけの方ばかり・・・。
実は最近のネット関係の調査結果でも、
GoogleランキングでFacebookがTwitterよりも
検索上位に来ることが発表されています。
私の場合は、
元来Twitterを熱心に取り組んでいなかったせいかも知れませんが、
「テレコムOA」で検索すると、
ホームページ→ブログ→Facebookの順に表示されます。
やっぱりそうかと思っています。
Twitterは瞬時に情報が流れてしまいます。
でもホームページ、ブログ、Facebookはしっかり情報を閲覧できるし、
各々の特徴をうまく利用すれば商用としての情報発信が可能です。
今夜も食いしん坊にはたまらない”獲物”が並びました。
2011年08月22日
新人紹介・・・子猫?
お馴染みのお客様を訪問して、商談が一段落・・・。
すると社長が、「内野さん、新人を紹介します」と席をたたれたので、
私も起立して待ちました。
社長が子猫を抱いて登場!!
「内野さん、わが社の新人です」と言いながら、
私にひょいと子猫を渡してくれました。
私は、びっくり!!
その直後、にんまりニコニコ笑顔になりました。
子猫は、以前いた猫が行方不明になって、
落胆していたら知人からプレゼントされたそうです。
社長も私も大の猫派なので、
社長が私の顔を見たとたん、
「内野さんが喜ぶだろう」と思っていただいたそうです。
社長の思惑通り、私は子猫にデレデレ。
我が家の黒猫クロちゃんは6.1kgあるので、
子猫の軽さに驚きました。
子猫の甘噛みや、猫パンチ、猫キックを楽しんでいたら、
疲れたらしくて大あくび・・・。可愛いです。
2011年08月21日
サービス優先
8月21日は日曜日でしたが、
早朝お客様から「電話交換機の様子がおかいい」との
サービスコールがありました。
このところの雨続きなので、NTT側の回線がおかしいと思い
「113」に確認しました。
その結果「NTT側には異常なし」との回答があり、
再度お客様に電話確認すると
「早朝、落雷がありました」とのこと。
即座に「落雷にやられた」と思いました。
出発準備をしてお客様を訪問、点検を開始しました。
その結果、機器の一部が落雷で電気破壊されているが、
電話交換機本体には異常がないことを確認。
応急処置をして退出しようとしたら、
お客様から「インターネットが使えない」との報告があり、
機器を点検して復旧させました。
休日や夜間のサービスコールで、一番多い原因が「落雷」です。
落雷事故の場合は、通信機器は電源回路からの異常電流進入による破壊、
通信回線からの異常電流、もう一つ、アース回線からの逆流による電気破壊があります。
今回は通信回線からの異常電流が原因でした。
NTTとの境界部分にNTT製の保安器(ヒューズ)が設置してありますが、
異常電流は保安器で止まらなかった。
落雷が至近距離の場合は、時折このような現象が発生します。
私は、休日・夜間にサービスコールがある業界にいるせいで、
突然現場に走ることがあります。
家族に迷惑をかけることもありますが、さすがに家族も慣れたようです。
以前沖縄旅行中にサービスコールがあり、
知人にサービスを代行していただいたのですが、
お客様に「沖縄にいます」と携帯電話で説明しても納得していただけなくて
困った経験があります。
落雷事故が毎日あると困りますが、
夜間休日のサービスコールは少ないので助かります。
万が一の時に現場に急行すると、お客様がほっとされます。
緊急処置や復旧工事が終わると、
お客様から「ありがとうございます」と感謝されます。
時代劇「遠山の金さん」は、
大岡越前守が桜吹雪の入れ墨を悪人共に見せて、
「これにて一件落着!!」と大見得(おおみえ)を切るのですが、
私の心の中でも「これにて一件落着」と思う時があります。
お客様の笑顔が、私の元気の素です。
早朝お客様から「電話交換機の様子がおかいい」との
サービスコールがありました。
このところの雨続きなので、NTT側の回線がおかしいと思い
「113」に確認しました。
その結果「NTT側には異常なし」との回答があり、
再度お客様に電話確認すると
「早朝、落雷がありました」とのこと。
即座に「落雷にやられた」と思いました。
出発準備をしてお客様を訪問、点検を開始しました。
その結果、機器の一部が落雷で電気破壊されているが、
電話交換機本体には異常がないことを確認。
応急処置をして退出しようとしたら、
お客様から「インターネットが使えない」との報告があり、
機器を点検して復旧させました。
休日や夜間のサービスコールで、一番多い原因が「落雷」です。
落雷事故の場合は、通信機器は電源回路からの異常電流進入による破壊、
通信回線からの異常電流、もう一つ、アース回線からの逆流による電気破壊があります。
今回は通信回線からの異常電流が原因でした。
NTTとの境界部分にNTT製の保安器(ヒューズ)が設置してありますが、
異常電流は保安器で止まらなかった。
落雷が至近距離の場合は、時折このような現象が発生します。
私は、休日・夜間にサービスコールがある業界にいるせいで、
突然現場に走ることがあります。
家族に迷惑をかけることもありますが、さすがに家族も慣れたようです。
以前沖縄旅行中にサービスコールがあり、
知人にサービスを代行していただいたのですが、
お客様に「沖縄にいます」と携帯電話で説明しても納得していただけなくて
困った経験があります。
落雷事故が毎日あると困りますが、
夜間休日のサービスコールは少ないので助かります。
万が一の時に現場に急行すると、お客様がほっとされます。
緊急処置や復旧工事が終わると、
お客様から「ありがとうございます」と感謝されます。
時代劇「遠山の金さん」は、
大岡越前守が桜吹雪の入れ墨を悪人共に見せて、
「これにて一件落着!!」と大見得(おおみえ)を切るのですが、
私の心の中でも「これにて一件落着」と思う時があります。
お客様の笑顔が、私の元気の素です。
2011年08月20日
新鳥栖駅 ブルネル賞受賞

西日本新聞8月20日朝刊より
我が家から車で約10分のJR九州新幹線「新鳥栖駅」が、
鉄道デザインの世界的権威「ブルネル賞」を受賞しました。
鉄道の駅舎は直線的な箱型デザインが多いのですが、
「新鳥栖駅」は美しい曲線でデザインされています。
近くに誇れる建物があることは嬉しいですね。
2011年08月17日
完熟ゴーヤはアケビと同じく開く
今年初めてゴーヤを育てていますが、
完塾すると種が真っ赤なことは先日知っていたのですが、
本当の完熟が進行すると、
アケビと同じようにパックリ割れて
種が落下することを目撃しました。
赤い実が落ちた先には、
蟻がわんさか食いついていました。
赤い実は蟻にとってはごちそうでしょうね。
2011年08月16日
クロちゃん 変!!
我が家の黒猫クロちゃんは、
暑い日が続くと冷たい場所を探してウロウロ・・・。
ひょいと覗いたら、私のシーツの上で爆睡。
相変わらず寝相が悪い・・・。
でも、このほうが涼しいのかも知れません。
2011年08月16日
多久 山笠の雄姿
8月16日は、中学校の女子クラスメートのお悔やみに
多久へ行きました。
20年近く前に発病し、入退院の繰り返しで、
ここ2年ほども入院していたそうです。
5年ほど前に呼子で一泊してクラス会を開催したのですが、
その時が楽しく会話を交わした最後の日でした。
中学校時代はあまり付き合いがありませんでしたが、
娘の花嫁姿を見る前に他界するのは辛かったと思います。
私も娘二人の父親ですが、やっぱり花嫁姿は見たいと思います。
親とすれば当然の願いだと思います。
お悔やみの後、同級生が経営する人気の喫茶店「アムール」で、
しばしクラスメートと雑談。
(相変わらずお客様が多く、混雑していました)
JR多久駅前の通りは、夜店の準備で大わらわでした。
今夜が多久山笠の本番。
子供のころ見物に行った記憶があります。
近くの広場で、山笠が雨よけのビニールシートをかぶせて、
待機していました。
正面はご存知、上杉謙信と武田信玄の「川中島の合戦」。
裏面は楽しい「一休さん」でした。
2011年08月15日
両親の遺訓 平和とは
今日は8月15日。お盆期間中で、田舎へ帰省されている方もおられるかと思います。
8月15日は太平洋戦争が終結した日、終戦記念日です。
あなたの実家の仏壇の近くに、太平洋戦争で戦死した軍服姿の親戚のおじさんの写真が飾ってありませんか?
私は毎年、8月15日は『平和』について考えます。
これから書くことは、以前読まれた方がおられるかも知れませんが、私が娘達に戦争の怖さを伝えるために毎年書いていることです。
私は戦後生まれなので、当然戦争を知りません。
でも子供の頃、大人達から戦争の話を聞かされてきました。
親戚の家やご近所の仏壇を見ると、若いお兄さんの軍服姿の写真が飾ってあって、子供ながらに戦争で死んだ方らしいと思っていました。
父は戦場には行っていませんが、長崎県大村市の海軍工廠でゼロ戦などの飛行機を作り、テストパイロットをしていました。
完成した戦闘機の操縦かんを握り、急上昇やきりもみテストをしているうちに、機体の制御が利かなくなり、そのまま地上に激突して死んだ仲間もたくさんいたそうです。
昭和20年8月9日に長崎に原爆が投下されました。父は原爆のきのこ雲を大村から見たそうですが、軍部が情報を統制したため、当初は「新型爆弾が長崎に落ちたらしい」と聞かされていたそうです。
しかし、長崎方面からやけどをした負傷者が続々と逃げてきたため、原爆の脅威が知れ渡りました。
父も負傷した方の手当てをしたそうですが、「水をください」と言ったまま目の前で亡くなられた方もおられたそうです。
今思えば、父は故意に子供の私たちに原爆の恐ろしさを教えていたようです。父も母も、「戦争は恐ろしい」と言っていました。
修学旅行で長崎の平和公園にある原爆資料館に立ち寄った時、焼けただれた瓶や、黒こげ遺体の写真、やけどした被災者の写真を見たとき、「父が話していたことは本当だ」と思いました。
父は晩年「ゼロ戦をもう一度見たい」「知覧特攻平和会館に行きたい」と言っていたため、弟が案内して鹿児島で見学してきました。
どうやら父は、自分が作った飛行機で亡くなった特攻隊のパイロットの皆さんの、慰霊に行きたかったようです。
弟が言うには、父は資料室からなかなか出てこなかったので、弟は心配して迎えに行ったそうです。
母は終戦直前に電話局の交換手をしていました。当時は交換手が電話を手動式で取次するのが一般的でした。
実家の佐賀県多久市は炭鉱町で、工業や軍艦のエネルギーとなる石炭を出荷していました。
終戦直前にアメリカ空軍は、多久駅周辺を爆撃しました。母が空襲警報を聞いて電話交換室のある2階から1階へ降りようとした時、アメリカ軍の戦闘機が放った機銃掃射の弾丸が、母の目の前を通過し壁を貫通したそうです。
母があと一歩早く階段を下りていたら、当然母は即死。私はこの世に生を受けていません。
母も父と同じように、時折思い出したように戦争の話をしていましたが、特に広島に原爆が落ちた8月6日から、終戦記念日の8月15日の間には必ず聞かされていました。
沖縄にはむごい話がたくさん伝わっていますが、私の両親の話も太平洋戦争の歴史の中の小さな一部でしかありません。 私たちは戦後の混乱期に頑張った大人達に守られて今の暮らしが成り立ちました。
3月11日の東日本大震災と東京電力の原発事故で、いま日本は混乱しています。先人たちに倣い、我々大人は子供たちを守り、未来を明るくする必要に迫られています。
我々日本人は今度の東日本大震災で、弱い者同士が助け合う「絆」が世界一強いことを改めて思い返しました。
一人の力は小さいですが、まずは節電など自分でできることから始めましょう。
そして戦争の怖さを忘れないようにしましょう。
8月15日は太平洋戦争が終結した日、終戦記念日です。
あなたの実家の仏壇の近くに、太平洋戦争で戦死した軍服姿の親戚のおじさんの写真が飾ってありませんか?
私は毎年、8月15日は『平和』について考えます。
これから書くことは、以前読まれた方がおられるかも知れませんが、私が娘達に戦争の怖さを伝えるために毎年書いていることです。
私は戦後生まれなので、当然戦争を知りません。
でも子供の頃、大人達から戦争の話を聞かされてきました。
親戚の家やご近所の仏壇を見ると、若いお兄さんの軍服姿の写真が飾ってあって、子供ながらに戦争で死んだ方らしいと思っていました。
父は戦場には行っていませんが、長崎県大村市の海軍工廠でゼロ戦などの飛行機を作り、テストパイロットをしていました。
完成した戦闘機の操縦かんを握り、急上昇やきりもみテストをしているうちに、機体の制御が利かなくなり、そのまま地上に激突して死んだ仲間もたくさんいたそうです。
昭和20年8月9日に長崎に原爆が投下されました。父は原爆のきのこ雲を大村から見たそうですが、軍部が情報を統制したため、当初は「新型爆弾が長崎に落ちたらしい」と聞かされていたそうです。
しかし、長崎方面からやけどをした負傷者が続々と逃げてきたため、原爆の脅威が知れ渡りました。
父も負傷した方の手当てをしたそうですが、「水をください」と言ったまま目の前で亡くなられた方もおられたそうです。
今思えば、父は故意に子供の私たちに原爆の恐ろしさを教えていたようです。父も母も、「戦争は恐ろしい」と言っていました。
修学旅行で長崎の平和公園にある原爆資料館に立ち寄った時、焼けただれた瓶や、黒こげ遺体の写真、やけどした被災者の写真を見たとき、「父が話していたことは本当だ」と思いました。
父は晩年「ゼロ戦をもう一度見たい」「知覧特攻平和会館に行きたい」と言っていたため、弟が案内して鹿児島で見学してきました。
どうやら父は、自分が作った飛行機で亡くなった特攻隊のパイロットの皆さんの、慰霊に行きたかったようです。
弟が言うには、父は資料室からなかなか出てこなかったので、弟は心配して迎えに行ったそうです。
母は終戦直前に電話局の交換手をしていました。当時は交換手が電話を手動式で取次するのが一般的でした。
実家の佐賀県多久市は炭鉱町で、工業や軍艦のエネルギーとなる石炭を出荷していました。
終戦直前にアメリカ空軍は、多久駅周辺を爆撃しました。母が空襲警報を聞いて電話交換室のある2階から1階へ降りようとした時、アメリカ軍の戦闘機が放った機銃掃射の弾丸が、母の目の前を通過し壁を貫通したそうです。
母があと一歩早く階段を下りていたら、当然母は即死。私はこの世に生を受けていません。
母も父と同じように、時折思い出したように戦争の話をしていましたが、特に広島に原爆が落ちた8月6日から、終戦記念日の8月15日の間には必ず聞かされていました。
沖縄にはむごい話がたくさん伝わっていますが、私の両親の話も太平洋戦争の歴史の中の小さな一部でしかありません。 私たちは戦後の混乱期に頑張った大人達に守られて今の暮らしが成り立ちました。
3月11日の東日本大震災と東京電力の原発事故で、いま日本は混乱しています。先人たちに倣い、我々大人は子供たちを守り、未来を明るくする必要に迫られています。
我々日本人は今度の東日本大震災で、弱い者同士が助け合う「絆」が世界一強いことを改めて思い返しました。
一人の力は小さいですが、まずは節電など自分でできることから始めましょう。
そして戦争の怖さを忘れないようにしましょう。