2016年01月28日
ゼロ戦が活躍しない平和な日本になれ

西日本新聞平成28年1月28日付の「零戦 鹿屋の空に舞う」を読んで、
亡き父を鹿屋に連れて行きゼロ戦を見せたかったと思いました。
父は、第2次大戦中は大村の海軍工廠でゼロ戦などの飛行機を製造し、
テストパイロットをしていました。
85歳で亡くなる前に「ゼロ戦を見たい」とたびたび話していたので、
弟が知覧特攻平和会館に連れて行きました。
知覧特攻平和会館に行った時、
父は長時間館内から出てきませんでしたが、
「ゼロ戦が置いてない」とがっかりしていました。
父は生前「戦争はいかん」と口癖のように言っていましたから、
自分が作ったゼロ戦が特攻機に利用され、
同世代の若者が戦死したことを悔やんでいたようです。
記事のゼロ戦の写真を見ながら、
父の代わりに「もう2度と戦争をしない日本にしましょう」と
つぶやきました。